北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が連続して新型ミサイルの発射実験に成功させたようです。
しかし、世界最貧国の一つでありながら、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射ミサイルや巡行ミサイルや極超音速ミサイルや3F型核弾頭などの大国並みの軍事技術を同時並行して開発できる資金力や人的資源は何処に有るのでしょうか?現在の国際情勢では他国からの資金や技術の支援は難しいと思うのですが・・

年金老人のつぶやき、四方山話
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が連続して新型ミサイルの発射実験に成功させたようです。
しかし、世界最貧国の一つでありながら、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射ミサイルや巡行ミサイルや極超音速ミサイルや3F型核弾頭などの大国並みの軍事技術を同時並行して開発できる資金力や人的資源は何処に有るのでしょうか?現在の国際情勢では他国からの資金や技術の支援は難しいと思うのですが・・
新年恒例の箱根駅伝(第98回東京箱根間往復大学駅伝競走)、青山学院大学の圧倒的強さが目に付いた。
本来ならレース終了直後にこのコラムを書くべきではあったが、新年早々体調を壊したりして、証文の出し遅れになってしまってお恥ずかしい限りではあるが、試みに各大学の中継所通過順をトップチームとの通過時間差によりエクセルのグラフにプロットすると、青学を除く上位10数チームにはほとんど差が無く非常に混戦状態であったことが分かる。

一方青学は3区(戸塚から平塚)以降首位を独走しており、逆転可能時間差を1分、最大2分としても、4区以降他校に逆転するチャンスは無かったことが判る。

令和四年元旦
またまた初代林家三平師匠ネタで
”どうもすみませ~ん!”
昨日のフィギュアスケート全日本選手権での羽生結弦選手は圧巻の演技であった。4回転半ジャンプも完成間近に見えた。
体操の世界では新種の大技に個人名がつくが、羽生もこの大技を完成させたら、クワッドアクセルなどと舌を噛みそうな名前では無く、【羽生アクセル】と呼べば良いのでは無いか?
さて、皆さんは12月23日は何の日かご存じですか? 12月23日は東京タワーの誕生日です。東京のランドマークである東京タワーは今から63年前の1958年12月23日に竣工したそうです。
高さは333メートルで自立式鉄塔としては、東京スカイツリーに抜かれるまで半世紀に渡って、日本で最も高いタワーでした。第二次世界大戦で傷付いた国土の復興と新しい東京のシンボルを造ろうとする熱意により、当時として世界最高の電波塔を造ろうとして、当初の設計では高さは380メートルだったそうです。
これが、現在の333メートルとなったのは、工事を開始した後、建設費用の不足が明らかになったからだそうです。そこで、建設部材のほとんどを占める鉄材の使用量を減らし、建設費用を削減するため現在の形になった様です。
東京タワーでは、基礎部分から大展望台に至る部分が懸垂線(カテナリー曲線)を描いていますが、名古屋や札幌のテレビ塔やエッフェル塔などのほとんどの自立式鉄塔ではこの部分は直線構造であり、懸垂線を描いているのは珍しいと思います。恐らく、この部分を絞ることにより、高さを調整したのでは無いかと思いますが、逆に独特の優美な形を生み出す事になったと思います。
今から300年以上前の江戸時代。元禄15年12月14日に江戸市中を騒然とさせる事件が発生した。そして、その事件は現代まで語り継がれている。
そう、赤穂浪士による吉良邸討ち入りである。

千葉県船橋市に行田公園・行田団地という場所が在り、私もたまに車で通り抜けることがある。車で縦断していると気が付かないが、地図を見るとこのエリアはきれいな円形を描いている事が判る。初めて上京した頃は、その規則的な形を奇異に感じ、モダンな住宅地を作るために整地したのかと思っていたが、その後、謎が分かった
かつて、此処には日本海軍の無線所があり、円形の外周道路に沿って巨大な電波塔が林立していたとのことだ。80年前真珠湾攻撃を命令する『ニイタカヤマノボレ1208』は此処から送信されたそうだ。
1941年11月26日 択捉島単冠湾を密かに抜錨した大日本帝国海軍主力艦隊は、太平洋航路の商船が通常使う航路を避けて北太平洋をハワイ諸島に向かって進んでいた。この途次『ニイタカヤマノボレ』の攻撃命令を受信することになる。
当時、日本の一般国民や兵士を除いて、戦争指導者の中でアメリカと戦争をして勝てると思う人間は一人も居なかった。
明治維新以降、日本は清国やロシアを相手に戦争を行ったが、第一次世界大戦への参戦を除いて、日本が勝てる見込みのある戦争は無かった。どちらの戦いでも大きな会戦において敵主力を撃滅し、有利な条件で講和すると云う形で戦争を終結して来た経緯がある。
今回の戦いでも早期に敵主力を撃滅し、有利な条件での講和を目指すという、虫の良い、希望的観測の、当ての無い、多分に運頼みの、その後の方策を持たない、極めて無責任な形で戦争に突入して行った。
昭和16年11月26日(西暦1941年)択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾に密かに集合した大日本帝国海軍の主力は、『フジサンノボレ』の暗号命令を受けて、米国太平洋艦隊を撃滅するためハワイ オワフ島に向け静かに出帆していった。
そして、それは日本の破滅への船出であった・・
今日11月23日は勤労感謝の日です。古くは天皇陛下が自ら収穫された新穀を神々に奉納される新嘗祭が起源とされるが、戦後の祝祭日の見直しにより、アメリカではこの頃に感謝祭(Thanksgiving)と云う祝日があり、天皇陛下も自ら田に立って稲を収穫されたのだから勤労だろうと、‘勤労’と’感謝’が一つになって制定されたのでは無いかと思います。国民の祝日に関する法律によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」ことを趣旨としている-と、されています。
さて、年金生活で一日中プラプラしている筆者が言うのも何ですが、今回は、勤労-労働について考えてみたいと思います。 → 全文はこちら