ハインリッヒの法則 -悲劇を起こさないために

ハインリッヒの法則と言うものがある。これは同じ人間(組織)が330件のヒヤリとするような事例を起こした場合、内300件は全く無傷であるが、29件は軽微な事故を発生し、1件は重大な事故を引き起こすという統計データに基づく法則である。

先日、知床観光の遊覧船が痛ましい事故を起こしたが、今回の甚大な被害の以前に、誰も気付かなかったギリギリ暗礁に乗り上げる寸前のような事態が多数発生していたと推測され、実際に沈没には至らなかったが、座礁事故など複数の事故が記録されている。ここで何らかの安全手順を定め対策を打っておけば、悲惨な事故は防げたであろうが、結局ハインリッヒの法則に予言された確率論のように甚大な事故を引き起こし、多数の人命を失うことになってしまった。

佐々木朗希 まぼろしの連続パーフェクト

ロッテの佐々木朗希投手が17日の対日本ハム戦で8回までパーフェクトピッチングを続けながら、9回のマウンドに立つ前に降板させられました。このニュースに2007年の日本シリーズの中日-日ハム戦での8回までパーフェクトピッチングを続けながら9回のマウンドに立てなかった山井投手のまぼろしの日本シリーズパーフェクトを思い出しました。

まだシーズン序盤で在り、投手戦となり延長も視野に入れなければならず、球数など、ロッテの井口監督も種々の要件をかんがみて苦渋の決断だったと思います。パーフェクト試合達成の要件としては、比較的早い段階で味方が得点して投手を援護することが重要ですが、互いに無得点では厳しい状況といえます。

1973年の阪神-中日戦も投手戦となり江夏豊投手が延長11回までノーヒットノーランを貫き、最後は自分のサヨナラホームランで決着をつけるという大記録を残していますが、シーズン後半で在り、まだ投球間隔や球数制限など考慮されていなかった時代なので達成出来た記録なのかもしれません。

この江夏投手は傲岸不遜の態度がある選手で、この時も「野球は一人でも出来る」と言う言葉を残し顰蹙を買うことになり、その後トレードで放出されますが、1979年の広島-近鉄の日本シリーズで”江夏の21球”と云われる名ピッチングを演じました。日本球界に於ける偉大なピッチャーの一人でした。

カチンの森の記憶 -ウクライナ捕虜の行くへ

ウクライナ軍の必死の抵抗により首都キーウの包囲は免れたようである。一方南東部の要衝のマリウポリはロシア軍により完全に包囲され陥落も時間の問題とみられている。最後まで抵抗を試みるウクライナ軍(アゾフ連隊?)に対して17日午後1時(日本時間同日午後7時)までに降伏すれば命を助ける(逆の言い方をすれば、降伏しなければ皆殺しにする)と、呼びかけているようだ。

独ソ戦最中の1943年、当時ドイツ軍が占領していたスモレンスクのカチンの森で、土中に埋められていた大量のポーランド将兵の遺体が発見されている。第二次大戦初頭にソ連軍に侵攻され捕虜としてソ連国内に連れ去られたポーランド軍捕虜の変わり果てた姿であった。(これらの遺体発見の報道はドイツ軍の謀略であるとの説も在る。)

一般市民を後ろ手に縛り上げて虐殺しているロシア軍が、停戦後ウクライナ捕虜を無事に帰還させるか不安がある。

特定少年の実名公表

山梨県で殺人・放火した19才の特定少年の実名が公表されました。50年以上前に連続殺人により実名報道された当時19才の少年であった永山則夫事件を思い出しました。

何にでも使える魔法の言葉

ポーランド訪問の林外相の帰国に併せて、政府専用機で希望する20人ほどのウクライナ難民を日本に移送するとのことだ。現在難民に対して日本語教育の実施が考えられている。以前アメリカの人と食事をした時、彼は「日本語は難しい」と言っていたが、「そんな事は無いよ、この一言さえ知っていれば、ハローでもサンキューでもアイムソーリーでもどんな場合でも使えるよ。」と、ある言葉を教えたことがある。

クイズ:この何にでも使える魔法の言葉とは何でしょうか?

答え:「どうも、どうも」です。

人と会った時、軽く手を上げて「どうも、どうも」と言えばハローだし、嬉しそうな顔をして「どうも、どうも」と言えば、サンキューだし、申し訳なさそうな顔をして「どうも、どうも」と言えばアイムソーリーになると教えたら、笑っていた。その後彼が「どうも、どうも」を使ったか知らないが、使っていれば面白い外人と言うことでその後のコミュニケーションが円滑になったのではなかろうか?

プーチンがウクライナをネオナチと呼ぶ理由

ロシアによるウクライナ侵略は止むところがありません。第二次大戦時のナチスドイツによる侵略を連想させ、学校や病院を標的にした攻撃はナチスドイツ以上に残虐に見えます。この蛮行を繰り広げるロシアのプーチンが逆にウクライナのことをネオナチと呼び、ウクライナを非ナチ化するため戦争をするとはどういうことでしょうか?

第一次世界大戦後ロシアから独立を果たしたウクライナはその後ソ連からの武力侵略を受け、ソ連邦を構成する共和国として組み込まれます。その後ソ連からの過酷な収奪を受け、多数の餓死者を出すなどの迫害を受けます。しかし、ソ連に組み込まれた後もウクライナ独立を目指す勢力は生き残っておりました。

ステパーン・バンデーラ(1909年1月1日 ‐ 1959年10月15日)は、その独立勢力の指導者でした。独ソ戦の開戦に伴い、敵の敵は味方と、これを好機としてドイツに協力してウクライナの独立を果たそうとしますが、逆に占領後のウクライナを独立させる意思のないナチスにより捕らえられ投獄されることになります。終戦後開放されたバンデーラはソ連からファシストのレッテルを貼られ、ウクライナに戻ること無くソ連の手により暗殺されます。ソ連からナチスの協力者と評されていたバンデーラですが、ソ連邦崩壊後はウクライナではその評価が見直され、現在はウクライナの英雄と再評価されるようになってきました。

ウクライナを属国と考えているプーチンにとってウクライナの完全な独立を目指すゼレンスキー大統領のような勢力が面白くありません。プーチンにとってウクライナのナチ化を防ぐとは、ウクライナのロシアからの完全な独立を認めないということなのです。