オウム真理教事件 ー 陰で暗躍したもう一つのオウム(続き④)

今から50年ほど前、1970年代から80年代に掛けて謎の日本人の失踪事件が頻発した。この事件に関して世間では北朝鮮の関与が噂されたが、日本政府は黙視し無視し続けた。この事件に初めて向き合ったのは小泉純一郎というちょっと変わった首相だけであった。小泉首相以降は再び以前の姿勢に戻った様に見える。真実を公表することにより国民の不安が広がることを恐れているのだろうか?一体日本政府にとって北朝鮮問題は何か不都合な真実が在るのだろうか?

現在死刑制度は残酷であると死刑制度を廃止している国が増加している。日本では未だに死刑制度は残しているが、判決に関しては慎重で死刑判決が降りることは少ない。しかし、オウム事件に関しては、非常に多くの死刑囚が出ている。事件の重大性から言って当然死刑もやむ負えないとも考えられるが・・また死刑判決確定後期間を置かず刑が執行されている。死刑判決が確定しても法務大臣が認めなければ死刑執行されない。帝銀事件の平沢貞道は1955年に死刑判決確定後1987年に95歳で獄中死するまで、時の法務大臣は誰も死刑執行の判を押さなかった。この速やかな死刑判決の確定と処刑実施は国家ぐるみの口封じが裏に在るような感さえある。

信徒から金を巻き上げることに狂奔し、修行と称する常軌を逸した行動の過程で信徒から多くの死者を出して行く間に人の死に鈍麻して行く麻原と教団幹部、一方その事実を世間に知られることを恐れ、外部に対して凶暴化して行く教団。そして都市型テロの実験をしてみたいと狙っていた某国の意志が一致してこのような重大な事件に発展して行ったのでは無いかと考える。

オウム事件の陰でもう一つ別の組織が動いていたとの疑惑を拭い去る事は出来ない。

オウム真理教事件 ー 陰で暗躍したもう一つのオウム(続き③)

オウム事件のさなかの1995年3月30日国松孝次警察庁長官が自宅前で狙撃されている。事件の真相はいまだ明らかになっていない。状況からオウム真理教が絡んでいると考えられるが、教団員の中から狙撃犯は確定されていない。

第二次世界大戦中に多くの狙撃手が誕生し、その功績により勲章を受章し英雄と祭り上げられた兵士は多い。しかし、彼ら(彼女ら)の手記や話によると如何に射撃の名人と言えども始めて狙撃を実行した時には、引き金を引くまでに逡巡し容易に狙撃することが出来なかったと語っている。射撃の的を撃つのと違って普通の人間なら目の前で自分の手で人を殺すことにためらいを感じるものだ。自宅から出て車に乗り込むまでのわずかな時間に狙撃を成功させている犯人は過去に何度も銃による殺人を経験しているプロと考えられる。

もう一つ奇妙なことは、現場で金日成バッジが見つかっている事だ。これは北朝鮮の犯行に見せかけ捜査を攪乱させるためと言われているが、オウム真理教の報道の中でロシアとの関係は報道されているが北朝鮮との関係は報道されたことは無い。敢えて北朝鮮の疑惑を出す必要があるのだろうか?

人をスパイや工作者に仕立てるため金銭で勧誘することはよくあるが、金で釣られた人間は優秀なスパイに成らない。優秀なスパイは愛国心が強く我が身を犠牲にしても祖国に忠誠を誓う人間である。金日成バッジを常時持ち歩くことはリスクは高いが、忠誠心の証として常時身につけている事は考え得る。

1995年4月23日教団の幹部であった村井秀夫が東京本部の前で刺殺されている。犯人の徐裕行は、「義憤にかられ、誰でも良いからオウムの幹部を殺したかった」と供述しているが、当時総本部前には多くの報道陣がつめ掛けており、映像から見ても村井幹部個人を狙ったとしか考えられない。口の軽い村井幹部の口封じをするため殺害されたと世間では認識されている。この殺害犯は初め北朝鮮籍でその後韓国籍に戸籍を変更した在日韓国人の暴力団員であった。

<明日に続く>

オウム真理教事件 ー 陰で暗躍したもう一つのオウム(続き②)

松本サリン事件では、サリン散布用に改造したトラックを使用したとの事であるが、警察が山梨県上九一色村にあった教団施設を捜査した際にも見つかっていない。事件後バラバラに分解したとの事であるが、部品一つ残さず痕跡すら残さず処理する事は可能であろうか?松本の事件後何処かに運び去られたと考える方が自然では無いだろうか? ーそれでは何処へ?

上九一色村現場捜査の端緒となったのは、1995年2月28日の目黒公証役場事務長の拉致事件であった。この事務長は拉致後殺害され高周波により焼却されたとされているが、人間一人、血の一滴の跡も残さず消し去ることは可能であろうか?

オウムの部外者に対する最初の殺人事件として1989年11月4日依頼を受けオウム真理教を調査していた弁護士とその妻子を扼殺しているが、自供に基づいてその死骸は発見されている。

事務長は事件後何処かに連れ去られたと考える方が自然では無いだろうか? ーそれでは何処へ?

地下鉄サリン事件直後隣国の首都ソウル市では市内に毒ガスが撒かれたとの想定で市民参加の大規模な訓練が実施されている。韓国政府は何を恐れ、どんな情報に基づいて演習を企画したのであろうか?

毒ガス兵器はケミカルの頭文字をとってC兵器と呼ばれている。それと同じように細菌を武器とするB兵器(バイオの頭文字)も密かに各国で研究開発が進められている。オウム真理教でも細菌兵器とするため炭疽菌やボツリヌス菌を培養しており、実際に散布した事が知られている(すべて失敗に終わっている)。

第二次大戦の敗戦以来日本の教育界では兵器に関する教育は忌避されている。一体一般の人間にBC兵器の開発などのアイデアが浮かぶだろうか?筆者はオウム教祖麻原彰晃(本名:松本智津夫)に示唆あるいは影響を与えた人物がいるのでは無いかと疑う。そして、それに関して日本近隣の某国の関与があったのでは無いかと疑う。

<以下明日に続く>

オウム真理教事件 ー 陰で暗躍したもう一つのオウム(続き①)

地下鉄サリン事件では官庁街である霞が関駅を通る営団地下鉄(現在の東京メトロ)丸の内線、日比谷線、千代田線車内でサリンの同時散布を計画したが、この内多大な被害を出したのは日比谷線車内であり、丸の内線にいたっては大きな被害は報告されず終点にまで達している。前年の松本サリン事件の鮮やかな犯行とは対照的だ。

オウム真理教の毒ガスによる対人殺傷テロはこれに限らず、多くの犯行が確認されている。(以下公安調査庁の資料より抜粋)①1994年5月9日:麻原の指示を受けた幹部構成員らが、オウム真理教被害対策弁護団に所属し団体構成員に対するカウンセリング活動も行っていた弁護士を殺害する目的で、同弁護士が所有する自動車のフロントウインドーアンダーパネルの溝及びその付近にサリン溶液を滴下し、その後、自動車を運転した同弁護士にサリン中毒症の症状は出たが本人も意識しないまま軽傷に終わっており、殺害に失敗。②1994年12月2日:麻原の指示を受けた幹部構成員らが、山梨県西八代郡上九一色村(当時)に所在していた団体施設を抜け出した構成員をかくまい同構成員に弁護士を紹介するなどした男性を殺害しようと、東京都中野区の路上において、注射器に入れた猛毒の化学兵器VXを同男性の後頭部付近に掛け、VX中毒症の傷害。殺害に失敗。③1994年12月12日:麻原が、分派を作ろうとしているとの情報があった構成員の身辺調査をさせたところ、同人と関係のある不審人物として会社員の名前が挙がったため、同会社員をスパイと決め付け、麻原の指示を受けた幹部構成員らが、大阪市淀川区の路上において、注射器に入れた猛毒の化学兵器VXを同会社員の後頭部付近に掛け、VX中毒により殺害に成功。④1995年1月4日:麻原の指示を受けた幹部構成員らが、東京都港区の路上において、注射器に入れた猛毒の化学兵器VXを、オウム構成員の脱会を促す活動を行っていたオウム真理教被害者の会会長の後頭部付近に掛け、VX中毒症の傷害。殺害に失敗。

その他事件として立件されていないが、創価学会名誉会長・池田大作氏に対して1993年に複数回サリンによる殺害計画が実行されているがことごとく失敗しており、逆に犯人側に中毒事故を引き起こしている。

以上犯行計画や行動は杜撰であり素人の犯罪的である。

<以下明日に続く>

オウム真理教事件 ー 陰で暗躍したもう一つのオウム

今からちょうど30年前に当たる、1995年3月20日東京中心部を走る複数路線の地下鉄車内においてジュネーブ条約でも禁止されている毒ガス兵器であるサリンが散布され、多大な被害が発生した。この事件を機に一機にオウム真理教(現在はアレフ及びその他の教団に分裂)に対する捜査が始まるのであるが、筆者にはこの事件の裏にもう一つの犯罪組織が暗躍していたとしか思えない。

この事件の前年の1994年6月27日の深夜松本市内においてサリンが散布され、多数の死傷者を出すことになった。警察では全く捜査の端緒を掴むことが出来ず、第一通報者を容疑者として嫌疑をかけることになる。危うく警察による冤罪事件となるところであった。犯人からすれば完全犯罪を成功させたと言える。

それに対して、翌年の地下鉄サリン事件では、多くの証拠を残し、その後の一斉捜査に繋がる。この地下鉄サリン事件の前後にもオウム真理教に関連する多くの事件が起こされているが、そこでは鮮やかに完全犯罪を実行するプロの犯罪集団と多くの証拠を残したり、事件そのものを失敗するドジな素人犯罪集団の二つが在ったとしか思えない。

地下鉄サリン事件では、当初駅構内でガス漏れがあったとか、アクロレイン(化学工場で使用されることもある溶剤の一つで天ぷらを揚げても少量発生する)が撒かれたとか情報が錯綜し、サリンと同定されるのに時間が掛かっている。これは素人が合成した粗悪なサリンであったためだと考えられる。一方松本で巻かれたのは兵器グレードの高純度なサリンであったと推定される。常識的には、化学合成にしろ物の製造にしろ経験を通して品質は向上するものであり、一年以上前に作られた物よりその後の物の方が品質が低いとは考えにくい。

<続きは明日・・>