対外メッセージ

5月9日の対ドイツ戦勝記念日でプーチン大統領がどのようなメッセージを発するのか世界の注目を集めた。結果としては実質戦争状態にあるウクライナ侵略を公式に戦争宣言することもなく、従来の発言に対して真新しいメッセージは無かった。従って今後もウクライナ侵略はこれまで通り続いて行くのだろう。

これより重大なメッセージは同じ日に米国のバイデン大統領から発せられた、レンドリース法の復活であろう。第二次大戦においてソ連軍がナチスドイツを崩壊に導いた古い法律を蒸し返してきたのは皮肉めいている。ロシア軍を相手に善戦しているウクライナ軍にとって無尽蔵な工業力を持つアメリカが直接背後に立ったのは大きな意味を持つ。

メッセージが発せられた日は違うが、これと並び大きなメッセージは、岸田総理による「北方領土はロシアにより不法に占拠されている。」との公式見解であろう。岸田首相としては深い考えを持たず、ロシアを非難する欧米諸国に足並みを揃えて、軽い気持ちで政府見解としただけであろうが、人は自分を基準として考えるものだ-もし、プーチンが岸田首相の立場に立って考えれば、世界に対して自国領土が不法占拠状態にあると言えば、それは武力により取り返す!と言う意味だと考えるであろう。従って苦戦しているウクライナに極東から軍事力を送りたくても送る事が出来ない。極東の軍備を手薄にすればその隙に日本が攻めてくると疑心暗鬼に駆られるだろう。

日本は防衛装備移転三原則によりドイツのようにウクライナへ攻撃兵器は送れないが、もしかするとこの政府見解がウクライナに対する最大の支援になっているかも知れない。

しかし、日本人は意識していなくてもロシアの脅威は増大している。膠着するウクライナ情勢から目先をそらすため、北方領土を守るため、突然日本に侵攻するリスクは存在する。要は短期間で抵抗無く日本を屈服させる算段がつくか否かである。日本はウクライナの様にロシアと陸で接しておらず、海が境界線となっているが、直ぐ隣にロシアが存在するリスクを忘れてはならない。

続くジェノサイド 5月9日でも侵略は終わらない

まるでSF映画の宇宙人の侵略のようだ。ロシア軍によるウクライナの侵略をニュースで見るとそう感じる。そこには人間性の一片も感じられない無差別の破壊と殺戮しか無い。

おそらく、ウクライナ住民を残したまま町を占領しても住民による厄介なレジスタンス活動が起きることを予想して、あらかじめ住民を虐殺するか、親ロシアか否かを選別してシベリアや極東に移送することにより、ロシア軍にとって無害な親ロシア派住民だけを残して、後はロシア本国からロシア人を入植させる計画なのではないかと予想される。

5月9日の対ナチスドイツ戦勝記念日で何らかのメッセージがプーチンにより発せられると思うが、拡大した戦線は5月9日でも停戦状態になるとは思えない。更にウクライナに隣接するモルドバでも焦臭くなってきた。脆弱なモルドバを占領し、此処を策源地としてウクライナ西部に攻め込み、ヨーロッパからの補給を絶つこと計画しているのでは無いだろうか?

戦前の日本軍が、蒋介石の指揮する中華民国を屈服させるため、中華民国への米英からの補給路であった仏印に進駐し(これが米国の対日参戦を決意させた)て中国を包囲し、新たな援蒋ルートを絶つために中国に接するビルマ(現ミャンマー)に侵攻した経緯を思い起こさせる。結局日本軍の野望はインパールのジャングルで潰えたのであるが、プーチンの野望は何処で潰えるのであろうか?

ハインリッヒの法則 -悲劇を起こさないために

ハインリッヒの法則と言うものがある。これは同じ人間(組織)が330件のヒヤリとするような事例を起こした場合、内300件は全く無傷であるが、29件は軽微な事故を発生し、1件は重大な事故を引き起こすという統計データに基づく法則である。

先日、知床観光の遊覧船が痛ましい事故を起こしたが、今回の甚大な被害の以前に、誰も気付かなかったギリギリ暗礁に乗り上げる寸前のような事態が多数発生していたと推測され、実際に沈没には至らなかったが、座礁事故など複数の事故が記録されている。ここで何らかの安全手順を定め対策を打っておけば、悲惨な事故は防げたであろうが、結局ハインリッヒの法則に予言された確率論のように甚大な事故を引き起こし、多数の人命を失うことになってしまった。

佐々木朗希 まぼろしの連続パーフェクト

ロッテの佐々木朗希投手が17日の対日本ハム戦で8回までパーフェクトピッチングを続けながら、9回のマウンドに立つ前に降板させられました。このニュースに2007年の日本シリーズの中日-日ハム戦での8回までパーフェクトピッチングを続けながら9回のマウンドに立てなかった山井投手のまぼろしの日本シリーズパーフェクトを思い出しました。

まだシーズン序盤で在り、投手戦となり延長も視野に入れなければならず、球数など、ロッテの井口監督も種々の要件をかんがみて苦渋の決断だったと思います。パーフェクト試合達成の要件としては、比較的早い段階で味方が得点して投手を援護することが重要ですが、互いに無得点では厳しい状況といえます。

1973年の阪神-中日戦も投手戦となり江夏豊投手が延長11回までノーヒットノーランを貫き、最後は自分のサヨナラホームランで決着をつけるという大記録を残していますが、シーズン後半で在り、まだ投球間隔や球数制限など考慮されていなかった時代なので達成出来た記録なのかもしれません。

この江夏投手は傲岸不遜の態度がある選手で、この時も「野球は一人でも出来る」と言う言葉を残し顰蹙を買うことになり、その後トレードで放出されますが、1979年の広島-近鉄の日本シリーズで”江夏の21球”と云われる名ピッチングを演じました。日本球界に於ける偉大なピッチャーの一人でした。

カチンの森の記憶 -ウクライナ捕虜の行くへ

ウクライナ軍の必死の抵抗により首都キーウの包囲は免れたようである。一方南東部の要衝のマリウポリはロシア軍により完全に包囲され陥落も時間の問題とみられている。最後まで抵抗を試みるウクライナ軍(アゾフ連隊?)に対して17日午後1時(日本時間同日午後7時)までに降伏すれば命を助ける(逆の言い方をすれば、降伏しなければ皆殺しにする)と、呼びかけているようだ。

独ソ戦最中の1943年、当時ドイツ軍が占領していたスモレンスクのカチンの森で、土中に埋められていた大量のポーランド将兵の遺体が発見されている。第二次大戦初頭にソ連軍に侵攻され捕虜としてソ連国内に連れ去られたポーランド軍捕虜の変わり果てた姿であった。(これらの遺体発見の報道はドイツ軍の謀略であるとの説も在る。)

一般市民を後ろ手に縛り上げて虐殺しているロシア軍が、停戦後ウクライナ捕虜を無事に帰還させるか不安がある。

特定少年の実名公表

山梨県で殺人・放火した19才の特定少年の実名が公表されました。50年以上前に連続殺人により実名報道された当時19才の少年であった永山則夫事件を思い出しました。

何にでも使える魔法の言葉

ポーランド訪問の林外相の帰国に併せて、政府専用機で希望する20人ほどのウクライナ難民を日本に移送するとのことだ。現在難民に対して日本語教育の実施が考えられている。以前アメリカの人と食事をした時、彼は「日本語は難しい」と言っていたが、「そんな事は無いよ、この一言さえ知っていれば、ハローでもサンキューでもアイムソーリーでもどんな場合でも使えるよ。」と、ある言葉を教えたことがある。

クイズ:この何にでも使える魔法の言葉とは何でしょうか?

答え:「どうも、どうも」です。

人と会った時、軽く手を上げて「どうも、どうも」と言えばハローだし、嬉しそうな顔をして「どうも、どうも」と言えば、サンキューだし、申し訳なさそうな顔をして「どうも、どうも」と言えばアイムソーリーになると教えたら、笑っていた。その後彼が「どうも、どうも」を使ったか知らないが、使っていれば面白い外人と言うことでその後のコミュニケーションが円滑になったのではなかろうか?

プーチンがウクライナをネオナチと呼ぶ理由

ロシアによるウクライナ侵略は止むところがありません。第二次大戦時のナチスドイツによる侵略を連想させ、学校や病院を標的にした攻撃はナチスドイツ以上に残虐に見えます。この蛮行を繰り広げるロシアのプーチンが逆にウクライナのことをネオナチと呼び、ウクライナを非ナチ化するため戦争をするとはどういうことでしょうか?

第一次世界大戦後ロシアから独立を果たしたウクライナはその後ソ連からの武力侵略を受け、ソ連邦を構成する共和国として組み込まれます。その後ソ連からの過酷な収奪を受け、多数の餓死者を出すなどの迫害を受けます。しかし、ソ連に組み込まれた後もウクライナ独立を目指す勢力は生き残っておりました。

ステパーン・バンデーラ(1909年1月1日 ‐ 1959年10月15日)は、その独立勢力の指導者でした。独ソ戦の開戦に伴い、敵の敵は味方と、これを好機としてドイツに協力してウクライナの独立を果たそうとしますが、逆に占領後のウクライナを独立させる意思のないナチスにより捕らえられ投獄されることになります。終戦後開放されたバンデーラはソ連からファシストのレッテルを貼られ、ウクライナに戻ること無くソ連の手により暗殺されます。ソ連からナチスの協力者と評されていたバンデーラですが、ソ連邦崩壊後はウクライナではその評価が見直され、現在はウクライナの英雄と再評価されるようになってきました。

ウクライナを属国と考えているプーチンにとってウクライナの完全な独立を目指すゼレンスキー大統領のような勢力が面白くありません。プーチンにとってウクライナのナチ化を防ぐとは、ウクライナのロシアからの完全な独立を認めないということなのです。

暴力不寛容社会

今年のアカデミー賞では、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が国際長編映画賞を受賞し、2009年の滝田洋二郎監督の「おくりびと」以来、日本映画としては13年ぶりの快挙です。以前からカミさんと見に行こうと言いつつ未だ見に行ってないのですが・・

もう一つ今年のアカデミー賞で作品表彰以上に話題となったのが「ウィル・スミスの殴打事件」でした。

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帝国主義の終焉

かつて大英帝国が最も発展し栄華を極めたのはヴィクトリア女王(1819年5月24日 – 1901年1月22日、英国女王としての在位1837年6月20日 – 1901年1月22日)の時代であった。この時代世界各地に植民地を得て’太陽の沈まぬ国’と豪語した。

このヴィクトリア女王の在位中に悲惨な事件が起きている。大英帝国の本拠である大ブリテン島の西側にアイルランド島が在り、北の一部を除いてそのアイルランド島の大部分を占める国家がアイルランド(アイルランド共和国)である。このアイルランドは長い間東隣の英国から圧政を受けていた。アイルランドで収穫される小麦は全て英国に収奪され、アイルランド国民の飢えを満たすものはジャガイモしか無かった。ところが、1845年に始まったジャガイモの疫病はアイルランド国民の唯一の主食を奪った。餓死者が続出したが、それでも英国はアイルランドに小麦を返すことは無かった。約4年間の疫病の期間中に100万人以上のアイルランド人が餓死したと言われている。多くのアイルランド人は祖国に見切りを付け、新天地(アメリカ合衆国)に移り住んだ。この中に後の合衆国第35代大統領を送り出すことになるケネディ家も含まれていた。

この英国のアイルランドでの圧政の原因として宗教問題(アイルランドはカソリック、英国は英国国教会)もあると考えられるが、ともかく世界各地から収奪する利益により英国が繁栄を極めていたのは間違い無い。すなわち植民地経営のコストとプロフィットを比べればプロフィットが勝っていた状態であった。

第二次世界大戦以前の日本は大変貧しい国であった。冷害の続く東北地方では、自分の娘を売って食いつなぐ農家が続出した。一部の村役場ではこの人身売買の斡旋が行われていた。

東北地方だけで無く、山崎朋子著のノンフィクション「サンダカン八番娼館」に描かれている様に九州の島原地方からは’からゆきさん’と呼ばれる娼婦として売られていく娘は後を絶たなかった。また、こうの史代の漫画「この世界の片隅に」に登場する遊女達の様に貧困のため身売りした娘達は日本全国に大勢居た。

第二次大戦以前、日本は世界地図上では広大な地域を支配しており、欧州の植民地宗主国に劣らず、それ以上にこれらの地域から収奪したが、日本が豊かに成る事は無かった。植民地支配に対するコストとプロフィットが全くあわなかったのだ。敗戦により、これらの広大な支配地域は全て失ったが、同時に植民地支配に必要なコストも無くなり、軍隊という消費するばかりで何も生産しない100%コストセンターを手放すことが出来、海外との貿易という極めてローコストな手段により最大限のプロフィットを享受出来るようになり、一時は米国に次ぐ世界第二位の経済大国にまで成長した。第二次大戦後、日本だけで無く欧州諸国も植民地経営のコストとプロフィットがあわなくなり、多くの支配地域が独立を果たすことになる。まさに帝国主義時代の終焉であった。

現在、ロシアはウクライナへの侵略を続けており、軍事力では圧倒的に優位なため、核兵器の恫喝によりウクライナを征服する事は可能かも知れない。しかし、ウクライナを支配し、かつてのソ連帝国の様に広大な地域を支配しても、ロシアに対する世界の制裁は更に強まり、満足な貿易も行えないようになり、ウクライナ支配に必要なコストの増大と貿易減によるプロフィットの減少により国力はどんどん低下して行くことになるだろう。

プーチンの目指すかつてのソ連帝国は広大な国土と強力な軍事力は持っていたが、GNPは当時のオランダ程度であったと言われている。国民の生活は決して豊かでは無かった。ゴルバチョフ以降の改革開放により自由主義経済体制で貿易を続けていれば、更に豊かな国となるチャンスは在ったのに、時代錯誤の帝国主義的野望を剥き出しにしたことにより、北朝鮮の様に核兵器を持つ最貧国の仲間に加わって行くことだろう。