於岩様

今回私は四谷のお岩稲荷(正式名称は四谷於岩稲荷田宮神社)に来ています。何故お岩稲荷に参拝に来ようかと思った理由は、現在テレビで大宣伝している帯状疱疹に罹ってしまったためです。左顔面三叉神経の第三枝に沿って発疹し、疱疹がこめかみから耳や頬それに顎や唇にまで及び、その姿が芝居や映画に出て来るお岩さんにそっくりだったので、実はお岩さんは夫の田宮伊右衛門から毒をもられたのでは無く、帯状疱疹であったのではないかと、妙に親近感を感じて参拝に至った訳です。

お岩稲荷は住宅街の中に在り、私の行った時は幟や遠くから見えるものは無く、非常に小さく、気が付かなければそのまま通り越してしまいそうな簡素さです。近くに同じくお岩様を祀った陽運寺が在りこちらの方が、大きく幟も上がっており目立ちます。

実は、お岩様に関しては、このお岩稲荷と陽運寺ともう一つ都内に三か所在るとの事です。元々お岩さんと亭主の伊右衛門とは仲睦まじく、貞女であり、良く働いたので家も盛んになり、世間の人もそれにあやかろうと田宮家の庭に在った屋敷神を参拝するようになったのが発祥との事です。

ところが、明治になってお岩稲荷は火災で焼失。この頃は東海道四谷怪談の大ヒットで、芝居の関係者は必ずお岩稲荷を参拝することを常としていたが、新富座など芝居小屋のある新川から四谷まで出かけるのは遠すぎるという声があり、市川左団次らが中心となり中央区新川に於岩稲荷神社を移転した。ところが、ところが、留守になった四谷に陽運寺が栃木県沼和田から引っ越してきて、お岩様の寺として店開きをしてしまった。留守を荒らされた本家としては黙っていられない。新川の於岩稲荷神社から分祀して現在の四谷於岩稲荷田宮神社を建立したとの事です。

ところで私はお岩様の名前に疑問を持っております。

歌舞伎の第ヒットした演目の中に『仮名手本忠臣蔵』と云う芝居が有ります。忠臣蔵(忠臣内蔵助)と名付けた訳ですが、芝居の中に内蔵助を名乗る人物は登場しません。主人公の名前は大星由良助(おおぼし ゆらのすけ)です。そして、その愛妻の名前がお石と云うのです。これは女性にとって在り得ない名前なのです。なぜなら、石女と書いて’うまずめ’と読みます。これは子供を産めない女性をさします。子孫を残して先祖の祭祀を絶やさず家の繁栄を願う事がファーストプライオリティであった当時の日本人には最も忌み嫌われる女性であったからです。作者は大星とお石から大石を忠臣蔵から内蔵助を連想させ、赤穂浪士のリーダーであった大石内蔵助を暗示したのです。

その後、東海道四谷怪談を書いた鶴屋南北は、大ヒットした仮名手本忠臣蔵の貞女お石の連想から主人公の貞女をお岩としたのではないかと考えます。岩は石の大きな物ですから。

現在でも自分の娘に石だの岩だのと名付ける親はいないと思います。

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