もう直ぐ80回目の終戦記念日を迎えようとしている。勝ち目の無い無謀な戦争を開始し(筆者はこの開戦は米英の謀略にまんまと乗せられたものと考えているートランプー共和党ー8月15日 参照)。無為に終戦を遅らせた結果、沖縄やその他の地域での戦禍による惨状や広島・長崎への原爆投下、戦後の朝鮮半島分割、シベリヤ抑留など多くの問題を残すこととなった。
日本は欧米と違って基本的に独裁体制を布き難い国であり、この戦争は一人の独裁者により始められたものでは無かった。ドイツ共和国(ワイマール共和国)はヒトラーが戦争を開始し、ヒトラーが自死したら数日で戦争は終わってしまった。しかし、日本には独裁者が居なかったため、ボスキャラを倒せばゲームセットと言うような訳には行かなかった。しかし、独裁体制では無いから民主的体制で在ったかと言うとそうとも言えない。
戦後、日本の戦争指導者の多くは、「自分はこの戦争に勝てると思っていなかった」とか「自分はこの開戦に反対していた」とか述べているが、これは正しい。ー但し、その後に「心の中では・・」とか「本心では・・」付け加えればであるが(笑)。 「自分はこの戦争に勝てると思っていなかった・・心の中では・・」、「自分はこの開戦に反対していた・・本心では・・」
それでは、何故考えと逆の行動に出てしまうかと言うと、日本社会は空気(ニューマ)を読む社会であるからである。多くの戦争指導者が心の中では戦争に反対していても、その場の空気が開戦に向かっていたら、誰も異を唱えられない。敗戦必至だと確信していてもその場の空気が経戦であったら、誰も本当の意見を言えない。このようなニューマの中では消極的な意見より積極的な意見が支配するようになり、大多数が心の中では戦争に反対していても、表面ではその反対の結果となってしまう!
今でも日本の会社では無駄な会議が多いように思うが、その多くは方針決定のための会議と言うよりニューマを確認するための会議であると思う。