処女航海で大西洋に沈んだタイタニック号はタイタニック号ではなかった

タイタニック号が処女航海で氷山と衝突して北大西洋に沈んだのは1912年4月15日であり今年で109年目となる。最大級の海難事故として何時までも記憶に残ることとなった。実はこの沈没したタイタニック号はタイタニック号では無かった可能性がある。タイタニック号には同型船が3隻在った。船を女性人称で表すことが多いので3姉妹と言う事になるが、タイタニック号は次女で、長女にオリンピック号、三女にブリタニック号が在った(船主のホワイトスターラインは例えばオセアニック号の様に末尾が-ックで終わる船名を付ける習慣があった)。

この内三女のブリタニック号が完成したのはタイタニック号が沈没した後であり、第一次世界大戦が既に始まっていたため軍に徴用され病院船として就役し、地中海で活動中に戦没している。

問題なのは長女のオリンピック号であり、この船は今回の東京オリンピック大会みたいに問題ばかり発生する呪われた船であった。数々の事故や他船との衝突を繰り返してボロボロとなり、最後には保険の引き受け手がいない無保険船となってしまった。造船所でタイタニック号が完成間近の工事に入っている時、大西洋上で海中の何かと衝突して3つ在るスクリューの内の一つがポロリと外れてしまった。この修理のためベルファストの造船所で建造中のタイタニック号とドックを並べていた時期があった。ホワイトスターライン社としてはこの厄介な無保険船を手放してしまいたい気持ちになるのは当然だろう。そこでタイタニック号とオリンピック号を入れ替えた・・

その後タイタニック号と名前を変えたかも知れない船は呪われたかの様に氷山と衝突して多数の乗員乗客と伴に沈没してしまう。一方タイタニック号の沈没の後、オリンピック号はこれまでの数々の事故歴がまるで無かったかの様に穏やかな航海を繰り返し、三姉妹の内唯一生き残り、その生涯を終えている。

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