’ことだま’の国のオリンピック

古代より日本人は言葉には霊的な力がこもると信じられていて、言挙げ-明確に発言するとそれが現実になると信じられていた。一般に日本人は無宗教と思われているが、とんでも無い間違いで、この言葉の霊力(言霊 ことだま)は現在でも日本人の深層心理を骨がらみに呪縛している。例えば、結婚式で「切れる」「分かれる分かれる」等は忌み言葉とされているし、外国人と比べて、公の場で明確に言葉を述べる事は苦手である。

古い時代には為政者は、国家の安寧を祈願して盛んに目出度い言葉を含む和歌を詠んだものであり、ざっくり言ってしまえば、それが為政者の仕事であった。今回の東京オリンピックに当たって、大会関係者は「安心、安全」を繰り返して唱えるだけで、「安心、安全」だけ口にしていれば本当に安心安全になると思っているかの様である。言祝ぎの言葉を込めて盛んに和歌を詠み飛ばした平安貴族を思い起こさせる。結婚式で花嫁花婿が「幸せになります」と何度も口にしても、幸せになるための努力をしなければ、ちっとも幸せに成らないように、いくら「安心、安全」を口にしても具体的努力をしなければ、安心安全は担保出来ない。

医療崩壊に直面している日本で大会に伴って入国する外国人に発症者が出た場合どう対応するのか?各国から種々のウィルスが持ち込まれる結果として、イギリス型でもインド型でも無いオリンピック型とでも言うような変異ウィルスが出現したらどう対応するのか?等々最悪の事態を想定して対策を打っておくのが責任者の役割である。

しかし、この最悪の事態を想定する事は、それを口にする事がはばかられる言霊の国では困難である。日本の某大企業で原子力分野を担当していた大前研一氏は、原発の全電源喪失の可能性を危惧していたが、全電源喪失と言う身の毛もよだつような恐ろしい事態は口にしたく無い原発推進者達は、「原発は絶対安全」と唱えていれば本当に安全だと信じ込んで何の対応策も準備しておかず、結果として福島の原発で身の毛もよだつような恐ろしい事態が現実と成ってしまった。私も会社勤めの頃、不測の事態への対応を上司に進言した事があるが、「お前はそんな事が起これば良いと思っているのか!」と逆ギレされ、それ以来そのような進言はしなくなった経験がある。事の大小は別として、事前の対策と準備をしていなければ、いざそれが現実と成った時、見当違いの対応に成ったりして、迅速で効果的な行動を起こす事は出来ない。

色々な危惧は在るが、このまま東京オリンピックは無事に開催され何事も無く終わるかも知れない。しかしそれは、関係者が「安心、安全」を何度も唱えた結果では無く、単に運が良かっただけだと言う事は確かであろう。

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